「もしもし、taka2君?」
「うん」
「今日ね、20:00から出てくれん?」
「家事君が熱がどうのこうのいって、、、私が20:00まででるけ。」
「ああ、うん、わかった」
「まだ、わからんのやけど、、、いいよることもようわからんし、、、」
「うーん?、まあ、、、了解。 ううーん、、じゃあね」
「はーい」
「はーい」
「はーい」
「うん」と答えるしかないんだけどね、、、。
責任者がいないってどう思われるのか、、
例えば、学校。
先生のいない教室。家から皆して集まって楽しくおしゃべり。わいわいがやがや。授業もなくて、グラウンドも使いたい放題、、、、、。多分もって一週間だと思う。
そんなことないよ。そういうのって小学校の話だよ、高校は違うよ。先生おってもうるさいだけだし、授業わかんかいし。
そうかもしれない。適当に参考書で勉強して、わからない事とかを出来る人に聞いて、いざとなったら予備校っていう手もあるし、部活にしたって、そこそこいい感じになるのかもしれない。受験に関して言えば、クラスによって出来が違ってくる気がする。極端な話し、上出来なクラスと全滅のクラス。そういう様を見てみたい気もするけど、、、。
教室、授業についてのこの手の論議は、「教育学原論」なんて種類の本を手に取ってみると詳しく載ってると思う。教室とは何か、学校とは誰のものか、授業とは何か。この種の本ってもっと一般的に(教員免許等を取ろうとする人だけじゃなくて)読まれてもいいんじゃないかって思う。読み物としても十分に読み応えがある気がする。
少し話しがそれてしまった。
例えば会社。
上司のいない職場。役に立たない、嫌味な上司(と思っていた)がいるとする。その他の、数人の人が率先して仕事をこなす。上司はと言えば、必要書類にサインしたり、その日の売り上げをまとめたり、、、それにしても、誰かが変わってできなくもないし、はんこさえ預けてもらえば、誰かが変わりにやるかもしれない。
何かイレギュラーな出来事が起こったする。
「すいません、今責任者が不在なんで、私の方で判断はできません、はい、すいません。」
って、不測の事態にも、それなりに対応できるんじゃないかって見方もできるかもしれない。
責任を誰が取るのか?まあ、そういう人が入ればその人が責任者なんだけど、責任者不在って、、、。ちょっと頭が痛くなってきた。
仕事はしたい、でも責任はとりたくない、っていうのは無理な気がする。
仕事場にポッカリと開いた穴は誰かが埋めないといけない。穴を開けないでいるっていうのはどだい無理な話だと思う。人間なんだから。
責任という言葉を語るには、責任という言葉意外の言葉が必要な気がする。
責任と人間というのは、元来相性の悪い組み合わせな気がする。元来っていうのは、まあ、歴史的にって見てもいいし、二つのピース自体がそもそも始めから合わさらないものなのかもしれない。僕たちは必死こいてそのヒースをはめ込もうとしてるだけなんじゃないかって。ちょっと、これは回転木馬の論理かな。えーと、ヒースをはめ込むことに日々切磋琢磨してるって言えばいいのか。、、、なんていうか、理想論じゃない気がする。
今日はこんなところ。
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